昨夜、「S-1」というスポーツ番組を視ていたら「教育と体罰」というテーマで桑田氏が熱弁を奮っていました。
ちょうど今は高校野球の地区予選真っ只中。TV局もその辺りを意識しての番組だったのかもしれませんが、たびたび議論の対象になる高校野球のあり方についてあらためて考えさせられるものがありました。と言っても部活としての野球経験もないので、あくまでも部外者としての考察として番組の感想です。
まずは「体罰は是か非か」についてプロ野球選手の約8割が「必要」または「時には必要」と回答しているデータを提示。半数越えるかなとは思っていましたが、8割とは悪い意味で想像以上でした。
これに対して、ゲストのバレーの中田氏、ソフトボールの宇津木元全日本監督の2人が容認派、格闘家の魔裟斗氏が否認派。バレーとかソフトボールの2人が容認派なのはいかにもって感じでしたが、魔裟斗が否認派なのはちょっと意外で、けっこうまともなんやなぁと大いに見直しました。
桑田氏は体罰については全面否定のようで、戦前の軍隊教育をルーツとする「野球道」的な物の考え方や自身のPL学園時代の経験を紹介しながら体罰は不要だと語っていました。
私自身は体罰については反対ですし、「高校野球は教育の一環」みたいなことを言いながら、休み無しのスパルタ練習とか、失敗などに対してグランド10周やら一週間草むしりの罰を与えるような指導(と言えるのかどうか)には大いに疑問ありです。
で、最近、仕事なんかでも良く使っている思考法のひとつである「ファンクショナル・アプローチ」で教育や指導の目的とか機能(ファンクション)を考えてみて、さらにその中で体罰にどういう機能を求めることができるのかを検討してみました。
教育の目的はめちゃくちゃ大雑把に言うと
「一人でメシを食える大人に育てる」
ってことなんかなと思います。(異論はあろうかと思います)
そのために、教育にどういう機能を求めるかですが、
・自分で物を考えて解決できるようにする
・そのための基礎学力を身につけさせる
・自分で自分の身を守れるようにする
・ルールやマナーを守れるようにする
・何らかの楽しみを持てるようにする
等々が考えられます。
さらにスポーツでの指導にはどういう機能を求めるかというと、
・競技に必要な技術を身につけさせる
・体力を向上させる
・メンタルコントロールできるようにさせる
・怪我の予防や、怪我からの回復方法を教える
・チームスポーツに必要な規律を身につけさせる
といった辺りを思いつきます。
ここで、体罰は上で上げたような機能のどの部分を受け持つものなのか、どういう機能を体罰に期待するのかということを体罰容認派の人に問うてみたいと思うのですが、どういう回答が想像できるでしょうか?
ステレオタイプな回答としては、
・規律を守らせる
・精神を鍛える
というようなものが考えられます。
どういう回答があったにせよ、
「それらは体罰以外では達成できない機能ですか?」
「それらを達成するのに体罰は最適の機能を持っていますか?」
と聞いてみれば、「体罰以外に方法がない」とは決して言えないのではないでしょうか?
おそらくですが、体罰容認派の指導者は、体罰に教育や指導以外の別の「機能」を期待しているのだろうと想像できます。
例えば、
・痛みや恐怖による絶対服従
・物を考えさせない
・自己の権威化
・悪しき慣習の正当化
など。
どれも本来の教育や指導には不要なばかりか害になるものばかりと言えます。
少し冷静になって考えれば、体罰の類は一切不要なのは明らかです。
さて、
我が母校の野球部はどうかなと言いますと、どうも旧態依然とした指導が行われているようで、いろんな話を聞いていると憤りさえ感じることがあります。
ほとんど年中無休で長時間のスパルタ練習とか、失敗や規律違反への罰ゲーム、「晩飯は白飯を5合食え」というような個人差無視の非合理的食事指導等々。
こういう指導の中からどうやって将来の日本(あるいは世界)を背負う人材を育てることができるのか、大いに疑問を感じるところであり、何らかの是正を望むものです。
p.s.
息子に、
「(当事者として)監督に文句言いたいから、おまえ、XX高に受かって野球部に入れ!」
と言ってやったら
「アホ」
と言われてしまいました。
今、息子は中学で吹奏楽部なのです。
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