- 2011年1月31日 22:49
- サッカー
「時間がたつにつれて凄いことをしたという実感が湧いてきた。人生は紙一重。どフリーだったので外していた時のことを考えるとゾッとします」
土曜の夜(というか、日曜の早朝)の激闘から2日経ち、代表チームが帰ってきました。李忠成は、今夜はいろんなチャンネルのニュース番組をハシゴしているみたいですね。
ゴールを決めてなお、「確実にトラップしても良かったのでは?」という声もあるくらいなので、外していたら何を言われるか、それがわかっているからこその「外していた時のことを考えるとゾッとします」という忠成自身のコメントだったと思います。
本人も一生に一度と言っていたくらいの、まさに芸術的なボレーシュートでしたが、あの場面で迷わずボレーを選択できたのは、自分の技術への自信があったのかなと思います。
芸術的ボレーを支える確かな技術ということですが、以前、芸術と技術を対比して一番の違いは何かということを会社の昼礼で若いエンジニアに聞いてみたことがあります。
「芸術は人に感動を与える」
「難しいことができるのが技術」
というような答えが返ってきました。
それに対して私の考えをこのように伝えました。
「芸術は唯一無二のオリジナリティ、独創性を追求するもの。二度と同じもの、同じことができないこと。」
「技術は、難しいことを同じように繰り返しできること。」
「また、難しいことを誰にでもできるようにすること。」
芸術的な難しいことを繰り返しできるという職人的な技術も一つの技術のありようで、非常に重要なことですし、個人レベルではそこを目指してスキルアップして欲しいということがまず一つ。
李忠成のボレーシュートはまさに、個人の技術の集大成としてのボレー職人というべき技の冴えだったと言えます。
それと同じくらい重要なのが、
「難しいことを誰にでもできるようにすること」
自分の技術を用いた製品によって難しかったことが誰にでも簡単にできるようになること。当たり前のことですが、利用者の役に立って初めて良い技術であると言えます。
さらには、難しいことを後進に伝えるという意味もあります。伝承性があるのが良い技術であり、職人の世界でいう一子相伝のような属人的な技術伝承の形態ではなく、より容易に技術者から技術者に伝えられるのが良い技術であり良い設計であること。
この辺はサッカーの世界では、プレーヤー自身ではなく、指導者の役割になるかもしれません。
技術は常に普遍化、汎用化を進めていく以上、いつかは他者と差別化できる価値を失ってしまいます。であれば、常により良い価値を身に付けられるよう精進していかねばならないのですが、言うは易く行なうは難しですね。常に自分に満足しないようにしたいものです。
- Newer: No.3 !
- Older: オーストラリア戦のスタメンは?

